楽園ブログ

「いつも心に太陽を!」そんな気持ちで感じたことを綴っています。

どうしようもなく頑張ってしまう人たちへ!

最後の夏休みは『棚卸し』!

今夏もコロナ禍で旅行もままならないので、最後の夏季休暇は、自宅倉庫の整理、清掃に取り組みましたよ。もう何年も前から、やるぞ、やらなければならない、今やらないでどうする?と思い続けてきましたが、数年のときを経て('-'*)、いよいよ、というかようやく手をつけたのでした。わたしの家はもともと農家でしたので、かつては小さいながら「蔵のようなもの」があり、今は、百人乗っても大丈夫の「イナバ物置」が建っているのですが、コメ作りに必要な田植え機やコンバイン、乾燥機はもちろん、様々な農機具が犇めいており、自分で言うのもなんですが、酷い状態でした。定年退職する来年以降に、少しコメ作りを再開したいと考えていたわたしにとって、今夏は最後のチャンスなのでした。

『メルカリ』デビュー!

まずは、処分した方がいいだろうな、というものを引き出しました。本当にいろいろな、中には笑いが止まらないようなモノもあって、父母や祖父母たちの人生がそこに映し出されているようで少しセンチメンタルな気持ちになってしまい、気後れしましたが、こんなことでは何も始まらないと自身を奮い立たせ、どんどん処理場に運び出しました。大きな米櫃などを勇気を出して処分してくと、なんとその脇には、わたしの愛車「Jimny」のホイールがひっそりと佇んでいるではありませんか。昨年新車を購入し、狙っていたホイールに替えたとき、「Jimny」のホイールなら売れますよ、という店員の言葉を受け、よし、売ってみるか!、と思っただけで、案の定それきりになっていたものでした。そうです。これがわたしの『メルカリ』デビューになりました。

売れるまでが楽しかったですな!

自動車のホイールのような大きなモノは4本一度に発送することはできないことなど、ルールがよく分かっていなかったこともあり、ずいぶんドタバタしましたが、出品するとすぐに「♡いいね」があり、じきに「値引きできませんか?」的なコメントも寄せられて、前もってネットで勉強していたとおりの展開になって、正直かなり面白かったですよ。前述のとおり、わたしは倉庫の整頓が目的なので、値段はいくらでも良かったのです。すぐに値引きにも応じたのであっさり売れてしまいました。あぁ~面白かった!というのが正直な気持ちで、メルカリにハマる人が多いのも少しだけ分かるような気がしましたよ。

メルカリ狂想曲!

さて、売れてからたいへんなことになりました。メルカリ経験者はよくご存じのことだと思いますが、出品したものが売れると、「売れました、発送してください」的な連絡が来ます。これを受けてからの自分自身の心理状態が凄かったのです。これがわたしなのだ~っていう気持ちでいっぱいでした。売るときの表示には「2~3日で発送」となっているのですから、売れた日の翌日、遅くとも翌々日に発送すれば問題ないわけですが、それは十分わかっていても、自分の気持ちをどうすることもできないのです。仕事をしていても、会議に出ていても、お昼を食べていても、発送する、発送しなければならない、という思いが頭を離れません。どうすることもできないのです。

強迫性障害」ですか?

心の病に「強迫性障害」というのがありますよ。自分でもつまらないことだとわかっていても、そのことが頭から離れず、わかっていながら何度も同じ確認などを繰り返してしまうというものです。たとえば、不潔に思い過剰に手を洗う、戸締りなどを何度も確認せずにはいられないなどがあります。「強迫性障害」にはふたつの症候があって、それが「強迫観念」と「強迫行為」です。「強迫観念」は頭から離れない考えのことで、その内容が「不合理」だとわかっていても、頭から追い払うことができませんし、「強迫行為」は、強迫観念から生まれた不安にかきたてられて行う行為で、自分でも「やりすぎ」、「無意味」とわかっていてもやめられないことを特徴としています。

仕事中も食事中もなんとか発送することを考え、資材を調達する等の行動を自分自身で不合理と理解していながら止められないのです。いやいや、正直本当に苦しかったですよ。その日の夜クロネコヤマトの営業所で発送控を受け取ったときの安堵した心持ちでやっとまともに考えられる状態に戻れたのです。わたしにとって、まさに「狂想曲」でしたよ。いやはや「強迫性障害」でしたね、わたしは。

これが『わたし』でしたよ!

そして、わたしは熟々と考えたのです。もうすぐ60歳になるわたしの人生はこんなことの連続だったな、と。わたしの人生は、時折訪れる深刻で大きな課題や目標を前に、どうしようもなくがんばってしまった日々だったのです。ここまでやるかな、と思いながらとことん突き詰めた経験の累積なのです。むろん、こんなことを誰かに話そうものなら、でも、それで充実した仕事ができ、実りの多い生活や人生を過ごすことができたのですよね、と言われそうです。たしかにそのとおりだと思います。また、心理を学んだ人からすれば、強迫観念や行為は程度の問題であって、そこに「耐えがたい不便さや困り感」があるかどうかが問題なのですよ、なんて訳知り顔で言われたりしそうです。それもそのとおりですよ、わたしにもそのくらいのことは分かります。今のわたしが思うことは、これまでの人生で、わたしの心はいつ「耐えがたい不安や困り感」に覆われ、押しつぶされても決して不思議ではなかった、ということだけですよ。

どうしようもなく頑張ってしまう人へ!

誰か信頼できる人に相談した方が良い、とか、自分の努力ではどうすることもできないことは気にしない方が良い、とかそんなようなこといわれてもどうにもなりませんよね。「どうしようもない自分」を抱えていない人の言葉では何も解決できないのです。もちろん、わたしは特別な人間ではありません。これまでなんとかやってこれたのは偶然であり、幸運だっただけです。そして、人が「どうしようもなく頑張ってしまう」ことも特別なことではないと思っています。もし「耐えがたい」と感じたら、特別でない医療を受けることもまた特別なことではないのです。そうです。わたしたちの心の問題で特別なことなんて何もないのですよ。

いつも心に太陽を

rakuenblog.hatenablog.com