楽園ブログ

「いつも心に太陽を!」そんな気持ちで感じたことを綴っています。

なぜ新年はめでたいのかという話

「新年」は「おめでとう」?

令和5年のお正月も松飾りを外すころとなり、無論仕事も通常通り始まっていつもの日常が戻ってきましたね。さて、お正月に何度も交わしたご挨拶、「新年あけましておめでとうございます」とは何でしょう?なぜ新年はおめでたいのでしょうか?わたしは子供のころ、両親が親せきに向かって「おめでとうございます」とあいさつするのを見てずいぶん不思議な気持ちがしたのを憶えていますよ。

お正月は「お歳とり」!

子どものころ、大みそかの食事を親たちが「お歳とり」と呼んでいたのを憶えています。成長すればだれもが知ることであり、今更言うまでもないことですが、新年の「おめでたさ」はまさにこの「お歳とり」のことでした。つまりお正月を迎えるということは、ひとつ新しい歳を加えるということであったのです。そこには「数え年」という概念も大きく関わっているといわれていますよ。「数え年」は、その年の誕生日が来るまでは「満年齢」と2歳違っています。なぜこんなことが起こるのかというか、ここが「数え年」の最もゆかしいところといいますか、ステキな考え方なのですが、「数え年」では、生まれたときに「0歳」という考え方をしません。なぜなら、すでに生を受けて「命あるもの」なのに、0(ゼロ)というのは馴染まないのでは、という考えです。ですから生まれたときにすでに「1歳」という考えなのです。そうです。年齢は「命」そのものという考え方ですね。ではいつ歳を重ねるのかということですが、それが「お歳とり」であり、「お正月」なのです。お正月に家族全員が一つずつ「歳」を重ねるのです。つまりは家族全員が新しい「命」を授かるということなのです。皆がお互いに「おめでとう」と言い交すのは当然なのです。素晴らしい文化ですよ。だって重い病気に罹ることもなく、大きな怪我もせず無事に新しい命を迎えることができたのですから。現在のように医学の進歩が図られていない時代ほどその有難みは大きかったろうと思います。現在も、家族にご不幸のあった家庭では、いわゆる「お正月の祝い」をしませんよね。年賀状も出さない。新しい命を授かることのできなかった者がいるのに「おめでとう」とは言えない、ということですね。それは気配りの文化でもあるのです。

大事な一年にしたいですね!

ともあれかくもあれ、わたしたちは「新しい命」を授かりました。与えられた「命」をどう生きていくか、それはわたしたちに委ねられています。それは科学的ではないけれど、わたしたちの人生そのものです。「命」を大事に、一日一日をいとおしく大切に生きたいですね。そして一年の終わり「お歳とり」の日には深々と感謝の意を致し、再び新年を晴れ晴れと迎えたいですね。本年もrakuenblogをよろしくおねがいします!

いつも心に太陽を