楽園ブログ

「いつも心に太陽を!」そんな気持ちで感じたことを綴っています。

「学歴社会」よりずっと厳しい「実力社会」!~「キャリアコンサルタント試験」の学びから~

驚くべき「ココナラ」市場!
「知識・スキル・経験」を売り買いできるスキルマーケットサービス、「ココナラ」をご存じの方は多いでしょう。「ココナラ」は、「ホームページ作成」や「動画編集」はもちろん、果ては「愚痴をとことん聞きます」のような、様々なスキル(?)サービスが比較的低コストで受けられるウェブアプリです。「キャリアコンサルタント試験」の面接実技対策で、他流試合の必要性を感じていた私がまず最初にチェックしたのは、「ココナラ」での「ロープレ」出品でした。若い人たちにはもう常識でしょうが、本当にいろいろなサービスがあって、大学生向けの論文指導とか、エントリーシート作成指導、レポート代行作成、また、志願理由書代行します、なんていうものもあって、え~っ、そんなことまでやってくれんの~?みたいなものがたくさんありますよ。実は、私、もう時効だと信じて白状しますが、学生の頃何回か、他大学の友人のレポート作成の代行をしたことがあるのですが、現代はこれがサイバー空間で「仕事」として成り立っているのですね。隔世の感といいますか、おじさん世代にとっては本当に驚きですよ。

出品者の価値はユーザーが決める!
エントリーシートの作成とか、職務経歴シートの作成とか、実際に就職活動において大きな意味や影響があると思われるものについて、自信を持って指導します、みたいな出品者を見ると、この人はどんな経歴なんだろう、きっと凄い実績があるんだろうなぁ、とついつい気になったりします。しかし、そこでは学歴やら職歴やらで自分を見栄え良く飾っている人はあまりいらっしゃいませんし、資格欄などを見ても、正直なところ、「大丈夫かいな?」と失礼ながら思ってしまう方もいらっしゃいます。
でも、そんな意識こそが、時代遅れのアナクロニズムなんだと今は深く反省していますよ。ユーザーは、出品者が難関大学の出身者、大企業出身者だからサービスを購入するわけでは決してないのです。いや、出身大学や経歴があまりに見事ならば、それを信じてサービスを購入する人はいるかもしれませんが、「ココナラ」のようなスキルマーケットの大きな特徴は、ユーザーによる出品者の評価があることであり、現実に提供されるサービスが期待に大きく反する評価を受けることが度重なれば、そうした出品者は必ず淘汰されてしまう仕組みがきちんとできているのです。出品者の「価値(実力)」は、出身大学などではなく、多くのユーザーによってこそ決定されていくのです。
大切なのは学歴や肩書きではなく「実力」!
難関大学に合格しても一流企業には入れるとは限らない、一流企業に入れても幸せになれるとは限らない、大事なことは、本当にやりたいことを見つけ、人生をかけて取り組むことなのだ、というような言説を屡々耳にしますよ。「キャリアコンサルタント試験」の学びには、こうした考え方が基盤となっているものも多かったと思います。もちろん間違ってないと思いますが、そこで難関大学に入るための努力や大きな企業で頑張っている努力を軽んじるようなことがあってはならないと思っています。特に現代社会は、民族紛争や環境問題など、知識や情報を積み重ねても解決策を導き出せない、所謂「正解のない時代」であるなどと言われ、受験で試される知識の量ではなく、思考力、判断力、表現力に加え、コミュニケーション能力が大事なのだ、などという風潮が一般的になっていますから、学力が高いということがなんだか引け目に思われるような場面もないわけではありません。

たしかに、高偏差値帯の大学出身者だからといって良い企業に入れるわけではありませんし、一流企業に勤める若いエリート社員が過酷な勤務で過労死してしまったなどというニュースが流れたりすると、人の世の儚さを感じるものです。しかし、どんな大学の出身者でも、それだけでは決して順風満帆でないこと、不幸な経験を過度に一般化、普遍化することに何の意味もないことは実は誰にも明らかなのであり、それによって難関大学や一流企業に価値がないなどということは決してならないのです。知識や技能を基本に受験勉強でしっかりと学力を身につけ、希望する大学でさらに深く学びながら「実力」を身につけること、難関大学も一流企業もその「実力」を身につけるステージであり、それ以上でも以下でもありません。そういう意味において、「一流」に拘るのならば、私は大いに結構なことだと思いますよ。ただ、キャリアについて対人支援に当たるのならば、人の価値は、卒業した大学でも入社を果たした企業でもなく、それらの経験を通してどれだけ、多くの人が認める「実力」を身につけられるかにかかっている、それだけはブレてはならないと痛感しています。

いつも心に太陽を