楽園ブログ

「いつも心に太陽を!」そんな気持ちで感じたことを綴っています。

節分の豆まき 今年もやりましたよ!

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今週のお題「鬼」

『泣いた赤鬼』は、児童文学作家である浜田廣介氏の代表作で、学校教科書にも採用された名作児童文学です。私は、子供の頃、本ではなく、紙芝居で初めて知りました。あふれ出る涙が、止まらない読書体験を少年時代に何度もしている私ですが、紙芝居を読んでもらい、図書室で本を借りて、自宅で何度も読み返しては、涙したのをよく覚えていますよ。

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あらすじは、村人たちの信頼を得て、なんとか仲良くしたいと願う赤鬼に、青鬼が、自分が村で暴れているところに赤鬼がやってきて、村人を助け、それによって村人の信頼を得るのはどうか、と提案し、見事、筋書き通りに事は運び、赤鬼は村人たちと仲良くなった、というものですが、その後が、少年の私には本当に衝撃だったのを覚えていますよ。村人たちと仲良くなれた赤鬼は、楽しい日々を過ごしていたのですが、その後青鬼としばらく会っていないことに気が付き、心配になって青鬼の家を訪ねてみると、自分と赤鬼が仲良くしているところを、村人が見たら、村人たちが怪しむから、自分は旅に出て、もう赤鬼には会わない、という手紙が残されていた、というお話です。

「友達」ってなんだろう? 「優しさ」ってなんだろう?

『泣いた赤鬼』は、道徳教材にも選定されているくらいですから、この話を題材に、人間の行いの是非や、優しさ、信頼とは何か、等々について、深く考えることができる作品だと思いますよ。でも、少年の私にとって、最も痛切だったのは、青鬼の手紙を何度も読み返しては、赤鬼が涙を流した、という結末です。

鬼は村人たちに恐れられていたのに、本当は心優しい者たちだったということ、赤鬼がなんとか人間たちと仲良くしたいという、とても自然な願いを持っていたこと、そして、そんな赤鬼の願いを叶えようと、自己犠牲を自らかって出てくれた青鬼の優しさ、二人の気持ちは本当によく分かるし、悪いことなんか全くない、でも、結果として、二人は会えなくなってしまったこと、悪いことなんて、何もしていないのに、苦しまなければならない、なぜ悲しむことになるのか~、いったいどうすればいいんだ~!、っと少年の心は甚く傷ついたのでしたよ。

もちろん、村人たちとの信頼を得た後なら、赤鬼は本当のことを話しても、大丈夫だったんじゃないのか、とか、本当の信頼は、演出では築けないのでは?みたいな、道徳の授業のようなことは、子供の私にとっては思いもよらないこと、といいますか、どうでも良いことで、とにかく、そのときの私には、人は友だちのことを思っていても、仲良くしたいという優しい気持ちでいたとしても、誰も傷つけることはしていない、と思っていても、こんなに悲しい結末があるんだ~、ということへの計り知れない恐怖と絶望が残りましたよ。

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豆まき 今年もやりましたよ!

『泣いた赤鬼』に涙した少年も、あれから50年の時を経て、もうすぐ60歳ですよ。自分の子どもはとうに独立していて、これまで同様、昨日もひっそりと豆まきをしました。齢を重ねて、納得できないことでも、その多くを自分なりに、無理矢理にでも解決しながら、これまでやってきましたけど、少年の日に感じた、あの心の暗がりには、まだ決着をつけられていないのですよ。だから、きっと、だからこそ、ですよね、今年も一心に豆まきができたのですよ!

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いつも心に太陽を