楽園ブログ

「いつも心に太陽を!」そんな気持ちで感じたことを綴っています。

誰も教えてくれない!

Twitterは「考えるヒント」!

Twitterは、自分が感じたこと、思ったことを匿名のまま(そうでない方も勿論いらっしゃいますが)、手軽に率直に表明できるので、多くの人を感動させるような奥行きのある洞察を披露されている方も多い反面、非常に手厳しい考えも躊躇なくぶちまけてしまう場面にも多々出会うものですよ。勿論それが悪いと言うことでは決してなくて、人間的な、あまりに人間的な、とわたしなどは感心していることが多いのですが、そんな中、ふと考えたことについて書いてみたいと思いますよ。

正解のない時代を生きる!

先日のテレビニュースで、文科省から通知が出され、学校給食時も適切な環境整備がなされていれば会話することができるようになったと報じられましたが、そんな話題を受けて、コロナ感染症拡大対策には可笑しいところが多いというような意見を多く目にしました。なかには政府はワクチン接種を勧めるけれど、ワクチン接種が進んでからのほうがより多くの感染者を出しているではないか、いったい何をやってるるんだ?、みたいなのもあり、たしかに数字を見ればそのとおりで、これはまったく難しいことになっているな、と思わざるを得ませんよ。また、わが国のマスク着用にについては、ほんとうに厳しい意見を持っている人が多くて、現在は政府も適切な距離が保たれたいればマスクを外してかまわないというようになっているのですが、マスクなんて距離が近い満員電車みたいなところ以外ではもともと必要なかったんじゃないか、とずいぶんご立腹されている方もいたりするのを見ると、本当はどうなんだ?、と誰もが知りたいと思うのが当然ですよ。

誰も教えてくれない!

マスクやワクチンを批判する人の意見を見ていると、舌鋒鋭くてなるほどなぁ~っと思うのも事実ですが、すこーし気になるのは、わたしたちの心理に、いつも誰かが正解を知っていて、その正解をあれこれ言いながら当てに行ってる生徒のようなところはないかな、ということですよ。コロナ感染症はこれまで経験がないから「新型」なのであり、そこに誰もが首肯する正解など存在するはずはありません。毎日マスコミに登場する「専門家」の皆さんも、なんだかそれくらいなら誰でも言えそうだ、みたいなことばかり述べていますよね。これはばかにしているんじゃなくて、それが現実なんだと思うのです。誰も教えてくれない。だってわからないんだから。そんなときは、みんなで大いに意見を交わしながら、だいたいこんなふうにするのが良いのでは、という線を進んで行くしかないのが本当ではないでしょうか。そう考えると、人は皆で共通理解、納得解を得るしかないわけですから、もし政府の対策に異議を感じても、自ずと意見表明には慎重かつ他者を尊重する態度が求められるはずですし、それができなければ、その先には言語道断、言葉の道を断たれた野蛮人の世界しかないように思うのですが、いかがでしょうか?

いつも心に太陽を

好きは天才である‥ ~対人支援の現場から~

好きになるのに理由はいらない

何かを好きになるのに理由はいりませんよ。何かに夢中になっている当人でさえ、なぜそこに自分が高い熱量で向かっているのか説明できないことが多いものだと思います。言うまでもないことですが、「好きになれ」と命令されても好きになどなれません。いやいや、私はあの人がお金持ちだから好きなのです、という人がいるのなら、それはその人が好きなのではなく、お金が好きなのではないでしょうか。いやいや、お金があれば何でも好きに買えるから好きなのですよ、という人がいるならば、それはお金が好きなのではなく何でも買える自分が好きなのでしょう。何でも買える自分が好きなことに理由のある人はさらにその次を追えばよろしいだけのことですね。そのうち、誰もが理由もなく好きとしか言い様もないものに行き着くでしょう。言葉遊びが好きなら時間をたっぷりかけて自分自身を内省するのも良いでしょう。

好きになるということ ~対人支援の現場から~

さて、理由もなく何かを好きになったらどうなるか。兎に角その対象について、何でも知りたくなるでしょう。勉強しなさいとか、テストがあるよとか、そういうこととは関係なく、無性に知りたくなるのですから、短期間で誰もが驚くような膨大な知識を得ることも可能になり、感性はさらに研ぎ澄まされるでしょう。多くを知り、研ぎ澄まされた感性を身につけるとどうなるか、対象の細かな違いにも敏感になり、さらに鋭敏な感性を身につけてさらなる熱意で対象に向かうはずです。世界的に有名な画家の作品を見ても何がよいのか全くわからない、というような感想を抱くのも無理はないのです。何かに没入してとても細かな違いを見分けられる作家と一般人に同じものが見えているはずはありませんからね。また、外国人の顔が皆同じように見えるね、といったような話がありますが、物理的でなく文化的な距離がありすぎて違いがわからないだけです。8匹同時に生まれたゴールデン・レトリバーの赤ちゃん犬はみんな同じに見えますが、深い愛情を注ぐ飼い主さんは見分けるのに苦労はいりません。これは特にめずらしいことではありません。なぜならば好きは天才なのですから。しかし、こうした感性の違いを弁えずに他者と渡り合おうとすると時として大きな事故が起きてしまうものです。心して気をつけねばなりません。

好きは幸い‥

何かを強く好きになることはとても難しいです。望んで適うものではありません。それを才能と言う人もいるでしょう。でも、好きなものに出会えた人は幸いです。脳内伝達物質を爆発させて夢みごこちに生きられるのですから。ああ、やっぱり好きは天才

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もうすぐ定年退職で何を想うのかという話

自分がいない計画を立てる^.^;

年度末に定年退職をひかえているわたしですが、所属している組織としては今年度の総括とともに来年度の計画を立案する時期となり、会議の内容も来年度に関わるものがずいぶん増えてきましたよ。反省を踏まえて来年度の課題を整理していきますが、あれこれと悩みながら意見を出しても、そこに自分はもういないのだと思うと、なんだか変な感じです。淋しいといってしまえばそれまでですが、やっぱりそんなに簡単なことではないという気もします。3月末で役職を解かれ、この職場の籍を失うことは紛れもない事実であり、当然そこに淋しさは感じますが、三十数年の仕事を無事に終えることができたなら、ささやかながらそれはわたしにとって喜びであり、きっと満足感を得られるでは、とも感じているのです。表現は適切ではないと思いますが、わたしは自由になる、みたいな気持ちが今は渦巻いています。

新しい世界に前のめり!

わたしは現在の職場での再雇用をせずに、一昨年に取得した公認心理師資格を活かした仕事をしていくことをほぼほぼ決めています。このあといくつか面接などを受けることになっていて、自分なりに覚悟は決まっているつもりです。無論再雇用を選んだ方が安定的ですし、所得補償もありますし、何よりも精神的に楽なのは言うまでもないことですよ。でも、わたしは非常勤となって心理支援をする仕事を選択しました。大学卒業後勤務した事業所でひとすじに、ただ真面目に勤務するだけだったわたしにとってこれは大きな挑戦に違いありません。そして、おそらく世間は想像以上に厳しいでしょう。すぐに後悔する自分が見えるようです。でも、後悔はしても新しい仕事に向かう自分自身にワクワク、ドキドキを感じずにはいられません。「もういいでしょう、三十何年も頑張ってきたんだから」と自分は関わらない来年度の計画を立てながら、これから自分自身が経験する全く違う世界に前のめり過剰の毎日です('-'*)!

いつも心に太陽を

rakuenblog.hatenablog.com

 

世界デジタル競争力ランキング 63カ国中29位の国!

大学入試「情報」必修化!

国立大学協会は、2025年の「大学入学共通テスト」から、すべての国立大学で原則として現在の5教科7科目に、高校で必履修科目となった「情報」を新たにを加え、6教科8科目を課すことを正式に決定したことで、現状でも科目数が多くて大変なところに、さらに新しい教科が追加されるということで、学校現場が困惑しているという記事を読みました。受験科目や制度の変更は学校にとって大きな負担になることは容易に想像できますよ。数年前にセンター試験の英語に、「読む」・「聞く」・「話す」・「書く」の4技能を評価する民間のテスト導入が計画されましたが、学校現場の強い反対の中頓挫したということもあったようですからね。わたしはコンピュータも英語も全くダメでして、何を言う資格もありませんが、それでいいのかな、という気持ちもありますよ。

小学生はプログラミング!

身近に小学生がいないものですから、よく知りませんでしたが、「大学入学共通テスト」での「情報」実施に先立って、2020年からは小学校で「プログラミング教育」が必修化されているようです。こちらも、そんな教育が本当に必要なのか、みたいな批判があるみたいで、まったく学校の先生の苦労が偲ばれるというものですよ。

世界デジタル競争力ランキング 63カ国中29位!

スイスの国際経営開発研究所(IMD)が発表する「世界デジタル競争力ランキング」は、世界63カ国を対象に、デジタル技術の利活用能力を、①知識、②技術、③未来への対応の観点で評価するものですが、わが国は、前年からさらに1つ順位を下げ、過去最低の29位となったと先日報じられました。特に目を引くのが、「国際経験」(知識)、「ビッグデータ活用・分析」「ビジネス上の俊敏性」(未来への対応)の項目で、なんと調査対象国中最下位という結果だったようです。もちろんランキング上位の国が必ずしも豊かで住みやすい国というわけではないかもしれませんし、それはただの指標に過ぎないよという見方もあるでしょう。しかし、日本の平均賃金はこの20年間、横ばいを続け、欧米はもとより隣国・韓国にも抜かれる状態であることは周知の事実であり、先進国で唯一成長と無縁の国などと揶揄されるその原因としては、何といっても労働生産性の低さがあることは否定しがたいところだと思いますよ。最近では、テレビでビジネスのクラウドサービスが盛んに宣伝されていますが、大企業はともかくICTもDXも中小企業にとってはまさにこれからが勝負でしょう。そして、次代の産業界を担う人材の育成という観点では、教育界も批判ばかりでなく、なんらかの形で一定の成果を挙げていくことが求められているのではないでしょうか。行政も学校現場も今が正念場、混乱の中とても大変だと思いますが、なんとか良い方向が見えてくることを願うばかりですよ。

いつも心に太陽を!」

『おみやげ』をいただくということ‥

おそらくは最後の出張に行ってきました!

今週は、岡山県に出張しました。会議と研修会への出席が主な目的でしたが、今年度末で定年となるわたしにとっては、スケジュール的に最後になると思われる遠距離の出張でした。会議が終了し、岡山駅で土産でも見ましょうか、とあれこれ選びながらふと考えたことをここでは書き留めたいと思いますよ。

様々な出張を経験させて頂きましたよ!

わたしは対人支援を主とする仕事に従事して間もなく定年を迎えるので、会社員の方のプレゼンや商談のような業務とは無縁でしたので、県外への出張は、緊急時の対応を除いては、先進的な取り組み事例を学ぶ研修会参加のための出張以外はほぼほぼありませんでした。しかし、そうはいっても三十数年の勤務は伊達ではありません。本当に様々なところへ出かけさせていただきました。遠方への出張はこれで最後だなぁ、と行きの新幹線のなかでこれまで仕事で訪れたことのある都道府県を思い浮かべると北海道から沖縄まで出かけていないところはいくつもありませんでした。過ぎてしまえば短く感じるものですが、三十数年の間には様々なことがあり、長い歳月の移ろいにあらためてしみじみとした思いを致したところです。

『おみやげ』をいただくということ

わたし自身これまで様々なお土産をいただきました。子どもの頃は、親や親戚が持ってきてくれる土産が嬉しくて、包みを開けて大喜びしたり、がっかりしたり、いろいろな思い出があります。いちばん嬉しかったのは、長男が小学校の修学旅行で江ノ島へ行き、『ハトサブレ』を買ってきてくれたことですね。毎日会っている息子ですが、なんだか急に大人に感じてどうしようもなく嬉しかったのを覚えています。

「おみやげ」が人を喜ばせるのは、好きなものをいただいたからだけではなく、その人が自分のことを思ってくれていたことに対する自然で、純粋な喜びではないでしょうか。もちろん、家族についていつも思っているのは当たり前だとか、前に自分が土産を差し上げたのだからそのお返しなのだろうとか、それはそのとおりでしょう。しかし、義理だとか義務だとか、理由は何であれ、土産ものを頂くということは、その時々にその人が自分のことを思い出してくれているということ以外ではあり得ません。事情はなんであれ、自分のことを思っていてくれたことに気が付き、ありがたいとか嬉しいとか感じるものだと思うのですよ。だって人はどうでも良いと思っている人のことが頭を過ることなどありませんからね。さて、岡山名物廣滎堂の「きびだんご」を食べながら、細君は何をどう思っているのか、まったくわかりませんでしたが、そんなこんなで最後の出張を終え、再び日常に舞い戻ったわたしなのでした。

いつも心に太陽を!』

品質の良いものを身につけるということ!

高価な靴を履くビジネス・パーソン!

数年前のこと、出席した研修会の講師が、ビジネス・パーソンにとって革靴は最も重要な武器であるから、すこし無理してでも最低3万円以上の靴を履くとよろしい、というようなことを話したことを憶えていますよ。なんでも、ビジネスの商談時において最も目が向くのは対峙する相手の靴であり、靴で印象はずいぶん違ったものになる、これは長年の営業の世界で戦い続けてきた者としての実感である、というものだったと思います。わたしは、大学卒業後対人支援を業務とする現在の事業所に就職し、そのまま間もなく定年を迎えようとしており、営業の経験は全くないので、へぇ~、そんなものかな、と思ったくらいで特に思うところはなかったのですが、最近になって、あれは本当はこういうことだったんじゃないかな、と思うことがありましたので書き留めることにしました。

「MOSCOT」という選択

さて、わたしは定年となる還暦、60歳の誕生日に何か自分に褒美をと思いたち、眼鏡を新調することにしました。眼鏡というと、とてもリーズナブルなブランドがいくつかありますよね。勿論わたしの生活感覚では、それで十分なのですが、今回は何といっても還暦ですので、思い切って少しだけ贅沢をすることにしました。暫しネットでググりながら、これだな!、と思ったのは、芸能人などにも愛用者が多いとされるMOSCOTの「LEMTOSH」という眼鏡でした。「LEMTOSH」は、1950年代にリリースされ、現代に受け継がれる「MOSCOT」の代表的モデルで、自由奔放な知識人やアーティストたちが愛用するアイコン的フレームされているようです。価格もさすがに数千円というわけにはいきませんが、庶民でもなんとか、という感じでしたので、いよいよ購入の儀となったのです。

長い歴史を持つMOSCOTの「LEMTOSH」!

満たされていく感覚!

仕上がりの連絡を受け、いそいそと眼鏡店に行きました。早速着けてみます。度数などは変更がありませんでしたので、見え方に変化はありません。ただの眼鏡ですよ。ひとつの道具に過ぎません。しかしながら、わたしは自身の気持ちにはっきりとした変化が起きていることを感じていました。それは世界中の多くの人々に長い間愛され続けてきた品質の持つ力であり、自分自身の中から湧いてくる高揚感でした。高いものを買って気持ちが高ぶっているだけじゃないか、という考えもあるでしょう。そうかもしれません。でもわたしは決してそれだけでは説明できない、重みを自身の内部から感じて満たされたのです。高価な眼鏡を買う意味として、細かな調整ができるとか、材質の良さはわかる人にはきちんと伝わる、とか説明しているサイトを見ましたが、わたしがそのとき感じた充足感を思えばそれは大したことでなないな、と感じます。数年前のこと、所属長に昇任したとき、調子に乗って世の中の人が高級車として思い浮かべるような乗用車を購入しましたが、終ぞこのような充足感を感じることはありませんでした。ホントです、それとは違うのです。品質の良いものを身につけるということを今わたしは愉しんでいます。

いつも心に太陽を

4回目接種済みましたよ!という話

3回目から8ヶ月後に接種券来た!

今秋は、コロナ感染症第7波が緩やかな下降トレンドを示していたこともあり、わたし自身あまり気にもとめていませんでしたが、コロナワクチンの3回目接種から6ヶ月が過ぎ、7ヶ月が過ぎてもどこからも何の連絡もなく、いよいよワクチンは医療関係者や高齢者のためのものになったのか、と思っていたところ、3回目の接種から8ヶ月経ったある日突然居住する町役場から接種券が届きましたよ。いざ届いてみると、なんだか、行き当たりばったりというか、恣意的なというか、ちょっといい加減な感じがしました。3回目までは正確に6ヶ月の間隔で接種の案内が届いていたので、流石日本の保健衛生行政は優秀だなぁ~、なんて思っていたのですが、オミクロン株対応ワクチンの摂取率を兎に角上げよ、という大きな意思が働いているようで、すこし変な感じです。

問題は副反応ですよ!

コロナワクチン接種では、何といっても副反応が気になりますよ。わたしは、1回目から3回目まで、局部の猛烈な痛みと発熱、倦怠感の3点セットの副反応でいずれも仕事を一日以上休んでいるので、今回も接種日の翌日は勤務しなくていいように仕事をあれこれ差配して臨みました。

本当にワクチンだったのかな?

わたしの4回目接種の副反応は、というと、正直なところ、これまでの10分の1にも満たない印象でした。接種した翌日の朝は平熱で特に倦怠感もないことから、当然仕事には行きました。その日の午後くらいから、なんとなく「どよ~ん」とした気分になり、これはいよいよ副反応の始まりかと身構えましたが、「どよ~ん」とした気持ちも明くる日にはすっきりしていましたよ。何といっても局部の痛みが全くないのが3回目までとの決定的な違いでした。本当にワクチンだったのかな?と思うくらいでしたよ。生理食塩水をワクチンといって接種したお医者もいましたしね('-'*)。

副反応は千差万別だな!

さて、4回目は何がどう違ったのか?もちろん想像するほかはないのですが、いちばん大きな違いは、4回目だけ「ファイザー」製ワクチンだったことですよ。しかしながら、「ファイザー」だから副反応が少ない、ということなら申し訳ないけれど、もう「モデルナ」製ワクチンには戻りたくないですな。それくらいわたしのこれまでの副反応は激しかったのです。良い歳をして39度に迫る高熱が出るのですから、思い切り痛かったですし、苦しかったですし、ハッキリ言ってコロナに罹ったんじゃないかな、という気持ちでした。「ファイザー」を接種したい、という人が多いと聞きましたが、当たり前だよな、という感じです。ただ、そんなに単純じゃないんだろうな、と思わざるを得ないのは、ホームページで確認すると、「ファイザー」と「モデルナ」の副反応調査では、わたしが感じたほどの差はないようなのですよ。これはまさに「謎」ですな。今回の接種でわかったことは、コロナワクチンの副反応については、その認識に本当に大きな差がある、ということですよ。わたしは、あらゆる現下の情勢からワクチン接種推進派なのですが、「副反応が怖い」という意見を軽んじるのは違うな、と思うようになりました。そういう人は思いきり苦しい副反応を知らないんだろうな、と思いますよ。最近頓に耳にする「分断」を強く感じた4回目接種でした(゚o゚;。

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