楽園ブログ

「いつも心に太陽を!」そんな気持ちで感じたことを綴っています。

『定年後はどうするんですか?』  

「意欲に満ちた同期定年退職組の中で」

わたしはあと半年でいわゆる「定年退職」となります。最近は、定年後はどうするんですか?みたいなことを聞かれることも多くなりましたよ。そうです。今、喫緊の課題となっているのが、定年後どうしていくか、ということです。現在は、わたしが仕事を始めた頃と違い、65歳までは年金が出ない時代ですので、定年になったところで、何も変わらない、仕事をしながら生計を立てていかなければならない、という厳然たる事実があります。わたしにもささやかながら貯蓄があり、これもまたささやかながら退職金などもいただく予定ですが、だからといって5年間を無収入のまま「遊んで暮らす」余裕など全くありませんよ。ですから、現在の職場にお世話になるにしろ、他に仕事を見つけるにしろ、何らかの「生業」をもたなければなりません。同期の職員たちの中には、鋭意「就活」に取り組み、早々と4月以降の仕事を見つけた者もいるようです。彼らを見ていると、兎に角意欲に満ちていて活動的、三十数年前に一緒に新任者研修を受けた頃のように野心的でさえあります。なんとか現在の地位に相応しい再就職先を、ということなのでしょう。もちろんこれは悪い話ではありません。100年と言われる人生を生き抜いていくには、こうした意欲が必要です。でも、それを十分に理解してもなお、いま、わたしはどうしてもそこに違和感を持っています。

「わたしの願い」

生きていくためには、60歳定年後も仕事をしなければならない時代です。活気溢れる同期採用組からは、あれこれ考えずに仕事があるならやるだけじゃないの?と言われそうです。全くそのとおりです。わたしも生活のために仕事をするつもりです。しかし、定年退職後は、これまでと異なる価値観で仕事に向き合いたいのです。それは、これまでのように、仕事の実績を評価されたい少しでも早く昇進したい仕事のできる人だと部下や同僚から思われたい給料を上げたい細君や子どもに立派な父親だと思われたい、等々の考え方と無関係に生きたいという願いです。自分に素直に、なんていうとずいぶん感傷的でオジさんとしては恥ずかしいですが、正直なところ、イヤな仕事はしたくありませんしイヤな人とは会いたくありません。思えば、これまでは身の丈に合わない無理をずいぶんしてきました。意に添わない部署への異動も、それが昇進に有利と判断したら、積極的に引き受けました。意に添わない人たちとの酒宴もひたすら我慢で星の数ほど参加してきました。こんなことを話すと、今の若い人たちからは、少しぐらい出世できてもそれじゃ惨めじゃないですか?と言われそうです。そうかも知れません。いや、きっとそうでしょう。しかし、わたしはその時々で常に一生懸命でした。ただそれだけ、でした。結果は、思ったところまでは全く辿り着けませんでしたが、後悔のようなものはありません。やるだけやった、と今は思っています。そして今は誰に蟠りもありません。ただ、もういいんじゃないかな、という思いだけがあるのです。

「ムリせず、カッコつけず……」

もちろん、現実は思うほど簡単ではないでしょう。どんな仕事であれ、我慢は必要だし、理解不能な人々ともうまくやっていく柔軟さは必要です。そして、おそらくわたしはそれもできてしまうでしょう。でも、これからはそんなことも「大概」にしたいのです。残りの人生を身の丈に合わないことで浪費するのは「大概」にしたいのです。雑誌で読みましたが、退職後に、第一線で超人的に忙しく活躍してきたビジネスパーソンが、老後の趣味として、「油絵」や「華道」、「陶芸」など静かに自分との対話を愉しむ趣味をはじめる人が多いそうです。一流のビジネスパーソンだった人が、心穏やかに芸術を愉しむ、なんていうのは奥ゆかしいですし、憧れますよね。でも、多くの人が失敗するそうです。理由は簡単です。「好き」でもないことをカッコつけてやるから、だそうです。また、退職後に社会との繋がりがなくなるのは健康にも良くないと、かつての仕事仲間の集まりや地域行事の打ち上げ会などに積極的に参加するけど、いっこうに楽しくない、と感じている中高年は多いそうです。これもやはり当然のことだそうで、ムリして付き合うとかえって「孤独」を感じてしまうからだそうです。

この先何年くらい生きるのか、思いのほか長いのかも知れないし、やっぱりはかないことも十分に考えられます。どちらにせよ、もういいでしょう、ムリせず、カッコつけず、ゆっくりいきたいと静かに思うこの頃です。

いつも心に太陽を