春 卒業に寄せて……
朝日に輝く道
すっかり春らしくなってきましたね。とある地方都市のわたしの自宅は、殊の外寒かった冬のせいか、梅の開花が遅れに遅れていたのですが、ここ数日でようやく咲きほころぶ頃となりましたよ。今日は、わたしの勤務先の近くの中学校では卒業式が行われるようで、校門前の大きな立て看板が朝日に輝く傍らを歩いてきましたよ。このあと、晴れ晴れとした面持ちの卒業生と保護者の皆さんがやってくるんだろうな、特段わたしには係わりのないことですけれど、とても幸せな気分で勤務に就きましたよ。
卒業に寄せて……
卒業式で思い出すのは、わたしの子どもが中学を卒業する頃に流行っていた、「かりゆし58」の曲、「さよなら」ですよ。
懐かしい歌が聴こえてきて 思い出が駆け巡る
移りゆく季節を 刻々と刻む時計の針は止まらないけれど
命は始まった時からゆっくり終わっていくなんて信じない
僕が生きる今日は もっと生きたかった誰かの明日かも知れないから
この部分がとても好きです。すこし大げさな言い方になりますが、人が生きる意味が、わずか4行にすべて込められていると思うからですよ。
なぜ人は生きるのか……
例えば、自分が本気で取り組んでいた部活動で、努力が報われてスタートメンバーに選ばれたら、同じように強い気持ちでポジションを競ってきた友人のことを思えば、自分でも信じられないくらいの湧き上がるパワーで試合に臨むことができますよね。一緒に頑張ってきた友人のことを思えば、それは当然ですし、もっとわかりやすく言えば、それはベンチの友人と一緒に戦うという意味ですよ。チームワークというものの原点は、そこでなければスポーツの素晴らしさはわかりませんよね。
さて、学校を卒業し、社会に出て行く、上級の学校に進学していく、ということは、程度の差は無論あるにしても、そこにも何らかの選抜があったはずですよ。つまり、卒業生たちが春から座ることになる、その「席」は、実は強い気持ちでそれを目指していたけれども、かなえられなかった誰かの「席」だったかも知れないのです。部活動のスタートメンバー決めとの違いは、私たちがその誰かのことを知らないだけですよ。その人がその「席」を目指してどんなに努力してきたか、どんな思いで挑んできたか、そしてそれがかなえられなかったときの悲しみとか、そんなすべてを知らないだけですよ。そんなふうに考えると、熟々人間は、一人で生きているようで、絶対に独りで生きてはいないんだな、一人で歩いているようで決して独りではないんだな、と強く思うのですよ。また、毎日を大切に生きようと心に刻むのですよ。そして同時に、生きていること、は素晴らしいことなんだ、とあらためて痛感するのです。
窓際によって外を見やると、保護者の方々が校門に入っていくのが見えますよ。体育館の脇では、緊張した面持ちで入場を待つ子どもたちが整列し始めたようです。素晴らしい卒業式になりましたね。本当におめでとう!